安全は 人へのやさしさと 確かな品質から

Company Story

全企業の災害ゼロを目指し
人々の安全を守り続ける。

𠮷田泰産業の創始者、

現社長の実父である𠮷田 泰啓より

受け継がれてきた


創業から現在までの50年の軌跡を辿る。

195912

発明付きの青年、吉田泰啓は小さな会社を設立

吉田溶工所


若干31歳の船出であった。


当時、電気溶接は感電の危険がある鉄ホルダーを
不便な革手袋で使用していた。



泰啓はどうにかして安心して作業ができないか考え、
樹脂皮膜の安全なホルダーを開発。

安全な電気溶接作業ができると評判を呼び、
瞬く間に日本中で売れ、事業は大成功し、

順風満帆だった。

しかし…


1962

数千万円の不渡りを被る。



絶大な信頼のあった大手熔材卸問屋の倒産。

現在の1億円相当のダメージ。



裸一貫から事業を立ち上げた
泰啓にとってはあまりに大きすぎる痛手であった。



初めての挫折

身売りも考えた。



しかし今までご贔屓にしていただいた
お客様を裏切るわけにはいかない。


誠実で一本木の泰啓は
卸問屋やたくさんのお客様に励まされ



1965

資本のかかるメーカーから熔材商社へと事業転換

これが現在の𠮷田泰産業の始まりであった。

泰啓は、誰もが嫌がった新興建設会社の販路に着眼し、
建設現場に重い高圧ガスポンベや熔材を喜んで納品し続け、
多くの顧客を獲得した。



そして時代は景気を迎え万博景気に沸く

大阪で着々と資本を築いていった。



1988

大阪の貿易商社に勤めていた現社長・𠮷田 鉃志
父である泰啓の誘いもあり𠮷田泰産業入社



営業部長として
建設機械レンタル事業部を立ち上げる
自ら現場で作業者とともに汗を流し、
ビジネスのヒントを得ていった。



そして無線型ポンプ制御版の開発に成功。

土木工事現場に次々と新技術を導入させ
円形タンク等の大型プラント賃貸にも乗り出し

全国にレンタルビジネスを拡張してゆく。



2002

𠮷田 鉃志 代表取締役就任

しかし時代は急変。


建築不況から公共工事削減。

事業経営の舵取りが次第に厳しくなる。



そんな矢先、

2004



会長、泰啓死去。享年76歳。

大きな後ろ盾を失う。



そして

2005


最大顧客だった
大手土木建築会社の民事再生を受け
多額の損失を計上。



先代から信頼していた
銀行筋が次々と押しかけ
追加融資の辞退と条件変更を求めてくる。


まさに手のひら返しの変容ぶりであった。

それを見た社員も次々と去って行った。



正直苦しかった。

絶体絶命のピンチだった。

翌年

2006



この危機的状況を救う

未来を大きく変えた運命的な出会いがあった。



ジー・オー・ピー株式会社の経営者

千田 豊治氏との出会いだ。

千田氏の生み出した作業台は
世界最高峰の安全性が認められ、
従来の室内足場の概念を
根底から変革するものであった。



𠮷田は思った。

転落事故の多発していた建設現場で、
これは絶対に世の中に必要だ。


広くは日本の経済を支える製造現場で
働いている方の命をも守れる。


安全で安心して働ける現場を提供できる。


千田の想いを受け、𠮷田は関西圏に

この高品質の作業台を広めたいと思った。



従来の土木工事の現場から
この最高の製品で建築に本格参入ができる。
父譲りの起業家魂に火がついた。



社員を集め新展開の想いを伝えた。


しかし誰もが否定的だった。

「そんなうまい話がうちなんかにくるはずがない」


そんな矢先、二度目の不渡りが会社を襲う。



致命的だった。



𠮷田は翌朝一番に千田氏に連絡した。

「申し訳ありません。昨日不渡りを受けました。
もはやお力になれません。残念です。」



千田は言った。

「そんなこと気にするな。このビジネスに打ち込め。
むしろそのチャンスが今やってきたんだよ。」



弱り目に人は離れてゆく。

勝てば官軍がビジネスの世界だと思ってきた。


しかし、目の前の将来性だけを信じてくれる人がいる。


涙が止まらなかった。


千田氏のいうことに賭けてみよう。

できるすべてを投入していこうと思った。


「宜しくお願いします。」そう告げた。



そして、アルミ製可搬式作業台SGペガの
ゼミコンに対する
レンタル事業展開に大きく舵を切った。



こうして、奇才千田氏が次々と世に出す
安全な作業台の数々をメーカーと共に広げることで、
父泰啓が若き日に抱いた安全への想いと
メーカーへの想いがまさに実現することとなった。



確かな商品と、差別化されたサービスで

大手スーパーゼネコンと取引が成立。

3期連続で粗利70%も果たし、
いよいよ事業の拡大を目指す。



ここには50年の歴史
そこからさらに新しい未来を創る
エネルギーが存在する。

私たちは、

社会のためになくてはならない。

今までの常識根底から変えなければならない



危険と隣り合わせの環境

人命がかかっている

最も大切なものを守る仕事



私たちは、全産業の災害ゼロを目指し
人々の「安全」を守り続ける。



裏方で人命を守るセイフティエンジニア


彼らは飛行機の整備士と同じくらいの
使命をもって資材のメンテナンスを行う。



ゼロ災害のアイデアを伝えるセイフティプランナー


ひとつでも多くの作業現場に私たちの
製品と考え方を広げ、安全な環境を作る。



他の会社にはできないことをする。



日本のモノづくりを支える風雲児として
製造現場の安全を守るプロフェッショナルとして



「人」を粗末に考えるなら
私たちは必要ないかもしれない。


しかし、私達は「人」を一番に考える。


人を失っていい仕事とは言えない

人を傷つけて何かを成し遂げては意味がない。

「人」を大切にする。



ひとりひとりが輝いて

ひとりひとりが楽しんで

ひとりひとりが自己実現できて

ひとりひとりが安心して働ける社会



「人をとことん大切にする会社」
皆と共に築き上げたい。



共に社会に必要とされる人間として
使命ある仕事を追求しよう。